香港トレイルの生い立ち

ご存じ方も多いと思いますが、香港は1898年〜1997年の99年間イギリスに統治されていました。

もともとイギリス人は自然保護を重要視する文化を持っています。

イギリスでもNational Trustという自然保護の活動が有名です。

さらにこの地域の重要課題である水不足への対策としてダムの建設と保水効果向上のため植林を進めました。



第二次大戦で残念ながら山々は丸裸になってしまいましたが、戦後さらに植林事業を加速し森林復活を行ったのです。

その後、「効野公園(Country Park)」という制度を設立し、漁農自然護理署(漁護署)という政府機関が整備を進めました。

効野公園には一切の人工物の建設が基本的に禁止されているのです。



その当時香港を統治していた25代総督マレー・マクリホースさんはハイキング好きであり、効野公園の急ピッチな展開を指示するとともに効野公園をつなぐトレイルの作ることにしたのです。

そして、1979年香港中央を東西に100kmに渡って横断する長大なトレイルを完成させ、マクリホーストレイルと名付けました。



このトレイルは国民にも大人気となり、その後ランタオ島にランタオトレイル、香港島にホンコントレイルが整備されました。

返還2年前の1996年にはデビッド・ウィルソン総督が香港を縦走するウイルソントレイルを完成させました。

香港の中国返還後、特に80年代は経済成長に伴う急激な開発が行われましたが、効野公園制度のおかげで自然は乱開発されることなく守られました。

ちなみに香港のでは効野公園と自然特別区で国土の40%以上が守られていて、世界都市平均20%を大きく上回っています。

超高層ビルが立ち並ぶ市街地と雄大な大自然が隣り合わせに共存する「香港独特の環境」はこのような歴史で出来上がってたんですね。



政府も含めて真剣に取り組めば森林復活と保護は出来るという実例に感心するとともに、マクリホースさんをはじめ素敵なトレイルを整備してくれた方々に感謝しています。



<このページの上へ>


Copyright (C) 香港トレイルパラダイス All Rights Reserved.